コラム

海外経験が教えてくれた決断の時に本当に大切なもの【バレリーナが医者になる?vol.1】        

こんにちは.Chikakoです.

これはイギリスでの生活,日本での医学部編入の後に,妻,母をしながら医学部を卒業した一人の人間の話です.

医学部で勉強中の皆さん,毎日勉強に追われていたり,キャリアや結婚について考えてモヤモヤしたりしていませんか?ふと見渡す世界に疲れたら,お茶でも飲みながらこの記事を読んでいただけると嬉しいです.


留学の理想と現実

時は2007年,大学1年生の9月.某国立大学の教育学部にいた私は休学をして,英国,ロンドンの地へと飛び立ちました.高校生の頃から,どうしても海外でバレエに携わる仕事がしたい,留学をして舞台芸術の本場で学びたいと願っていた私は,両親をなんとか説得し,期待に胸を膨らませ,飛び立ったのです.

留学はゴールではないからね

初めての留学にワクワクとドキドキ……なんとも言えない気持ちでロンドンへ向かう行きのフライトの機内で,関係者から洗礼を受けました

留学がゴールになって留学先で収穫なしに雰囲気だけ楽しんで帰ってくる人も多く,その先にあるもの,その先に得たいものは何かを必ず意識して生活するように言われたのです.高校卒業したての何も知らない19歳の私は素直にその言葉を受け止めました.

留学のその先にあるものを見つけるのは,そんなに難しいことではないと当時の私は鷹を括っていました(汗).それなりに努力をすれば,必ず結果はついてくるはずだし,思った通りに事は進むはずであると信じてやまなかったのです.

当時の私は「英国バレエの本場ロンドンで舞台芸術を学んで,学位を取って,プロのバレリーナとして契約も取るぞ!」と意気込んでいて,勿論それを目標に留学生活はスタートしたのでした.負けん気の強い私は,ある意味その関係者に焚きつけられるまま,語学習得や学校での成績でトップを取るため,徹底的に努力しました.おそらくその原動力には親の反対を押し切って留学を決意したという背景もあるでしょう.

(余談ですが,英国で外国人がバレリーナとしてプロ契約を取ることがどれくらい難しいかというと,当時は100人に1人や2人の話でした.ビザの取りやすさなどはその時の政治や世界情勢によるので時代によって変動しますが,非常に少ない枠を自国の人と他の外国人とで争うわけなので簡単ではないです.そんな話も行きのフライトからガッツリ仕込まれたので目的を達成するために,あえて目標を高く設定していました.)

話を戻し,そんな生活はあっという間に過ぎてゆき,ロンドンでの生活に適応するうちに気づけば1年が経っていました.”Work hard, Play hard”と同期や現地で知り合った友人たちとたくさんパーティーをしましたし,勉強もしました.1年目が終わる時にはトップの成績を取り,小さなバレエ団からのシーズン契約も手にしました

人生で初めての挫折

そんな感じで,朝から晩までフル稼働で語学の勉強に,学校の課題に,友人とのアクティビティにと動いていた矢先のこと……

バレエの授業中に,「バシン!」と音を立てて,膝が崩れ落ち,気づいたら歩行困難になっていました.頭の中は真っ白で,そのままUCL(University College London)の救急に運ばれました.

運ばれて,待たされること6時間,7時間.やっと診察してもらえたと思ったら,「X線取りましょう」と言われ,X線を撮り,「骨折ではないですね」「膝の専門医に見てもらうので予約を取りましょう,最短で2週間後になります」と.

え?歩けないのに2週間も次の診察まで待つの?

いてもたってもいられなかった私は,プライベートホスピタルで予約を取り直し,次の日の診察にこぎつけたのです.

診断はUnhappy Three things(unhappy triadの不幸の三徴というやつですね)の前十字靭帯損傷,半月板損傷,内側側副靱帯損傷でした.そのまま手術が不可避であることを告げられ,競技復帰も最低でも半年はかかると…….勿論,次にいただいていた契約の話も水の泡となりました.

全てが順調で,思った通りに事が進み,自分の努力が報われると信じていた矢先の出来事でした.

海外での医療は初めてで,手術や入院も慣れないことが多いなか,リハビリに真剣に取り組む日々を送りましたが,回復は思うように進みませんでした.そして追加で半月板の手術も受けることになり,回復がさらに遅れるにつれ,私の心も燃え尽きていきました.

そんななか,自分の膝を手術してくれたMr. Haddad医師がUCLで世界初となるPerforming Art Medicineのマスターコースを始めると耳にしました.

プロの芸術家のための医療を学びたい

再び私の心の中に小さな灯火が灯り始めた瞬間でした.

キャリアと女の最高値?!を

そんなこんなで現地で医師になることやPhysiotherapist(理学療法士)になることも考えましたが,最終的には「日本で最先端の知見に基づく芸術家のための医療を実現したい」という思いから,日本で医師になることを目標にし,医学部編入試験を決意しました.

と,簡単にまとめましたが,この目標設定をするまでには多くの実体験に基づくリサーチを重ねました!

イギリスで医師をされている先生複数人やPhysiotherapistさんに相談をし,さらに日本に帰国してからも医師の友人から話を聞いたり,実際に整形外科クリニックに勤めたりと,自分が思い描くキャリアが日本で実現できるのか本気で妄想してみたのです!所謂,業界リサーチのようなものですね.

だって冷静に考えて,海外でバレリーナだった小娘が医学部に入るなんて,「正気か?!」と言われるような話だというのは自分でもわかっていたので(笑).

さらに自身が正気か自分なりの覚悟を試すためにも,あえて反対意見をくれる友人,知人に意見を求めてみました.当時,海外では多くの人が背中を押してくれました.実際にバレリーナから弁護士になったり経済評論家になった友人もいました.ですが,日本では結構反対意見も多かったです.

女が最高値で売れるのは27.それを越えたら値崩れを起こすわ.」という某人気ドラマの名言と同じように,婚活して結婚してお嫁さんになった方がいいよなんて意見が男女ともに多かったですかね(お嫁さんなんて今は死語ですかね……).当時20代後半だった私には,とても揺さぶられる意見ではありましたね.

でも,その度に自分に問いかけましたよ.

本当にやりたいことは何?

好きなことは?

もうね,何回問いかけても,医学部編入の合格率を冷静に考えてみても,「好き!」「挑戦したい!」に勝る答えはないんですよ.

さらに当時,流行っていたTED talksをみていたときに,こんな言葉に出会ったんです.

”30 is not the new 20”  (30歳は昔の20歳ではありません)

ブッ刺さりました!

(さらにお茶もう一杯分の時間がある方は調べてみてもいいかもしれません.見てしまったら見る前には戻れませんのでご注意くださいね!)

そんなステップを経て,値崩れアラートを無視して(笑),医学部学士編入の道を決意し,編入試験全国行脚ツアーを決行したのです.

→next  「いざ、全国行脚へ!」 近日公開予定!

この記事を書いた人
Chikako
国立大学医学部卒業.自由な生き方を模索中のママ経営者.ライター,翻訳家.
現在,国家試験に向けて勉強中.

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