コラム

【病みえストーリーズ】ギラン・バレー症候群②

『病みえ』だとイメージしにくい,疾患を抱えた患者さんや家族の体験をストーリーを通じて描き出す「病みえストーリーズ」シリーズ.

今回は,「ギラン・バレー症候群」を発症した水泳選手のストーリーの第2話をお届けします.

他の話数へはこちら:1話3話

※本ストーリーは『病気がみえる vol.7 脳・神経(第2版)』p.302-305「Guillain-Barré症候群」の項目を参考に作られています.
※病みえの「MINIMUM ESSENCE(必須の知識をまとめた項目)」に出てくる重要な情報は太字で示されています.

作者:奈々崎 優

監修:戸島 麻耶(京都大学医学部附属病院 脳神経内科)


「体の動きにくさを感じたのはいつからですか」

「……一週間ほど前からです」

 洋一は妻に連れられ,騒然とする会場を後にした.心配した美恵が呼んだ救急車に詰め込まれ,病院に着き診察を受けている.

 洋一の頭の中はぐるぐると嫌な感情が渦巻いていた.選手権での失態がどう判断されるかなど考えたくなかった.

「経過をまとめると,初めは両足の先のしびれ,脱力感があり歩きにくさを感じていた.そして症状は徐々に悪化し胴の方へと上っていき,今は手も動かしにくいということですね」

「はい」

 不安は大きかったが,医者の手前努めて冷静に受け答えしていた.

「寝た状態から起き上がれますか?」

「分かりません,多分難しいと思います」

「他の筋肉の方も含めて確認してみましょうか」

 そう言うと,ベッドに寝かし医者は腕と重力を使って全身の筋力を確かめていた.

手足の力が弱くなっていますね.顔面にも少しの麻痺がありそうです」

「そして指先,足先の感覚が薄いんですね」

「はい」

「なるほど.では色々検査してみましょうか」

「先生」

 たまらず問いかける.

「……治るんですか」

「まだ何とも言えません.そうだ.大事なことを聞き忘れていました」

 医者が問う.

「発症の前に何か発熱だったり,病気になりましたか?」

「は?」

 思いもよらない一言に虚を突かれる.

「足の違和感を覚えた一週間前に風邪をひきましたが」

「そうですか.分かりました.検査を始めますね」

 ベッドで簡単な検査から始める.座ったところで足や腕の腱を叩かれた.

 医者は看護師を呼び何かの準備を命じているようだった.

「神経伝導検査をしましょう.手足に電極を付けて、電気を流して、神経にしっかり電気が伝わっているか見る検査です。これで手足の先の神経が障害されているかどうかなどが分かります」

「それに血液検査と髄液検査をしましょう.少々時間がかかりますが診断に必要な事ですので」

 勿論,断ることもなくお願いした.

 診察室.検査を行う前にと先生から病気について説明があった.

「検査結果が出てから確定診断となりますが,病歴と症状から言って,山口さんのご病気はギランバレー症候群だと思われます」

「それはどういった病気なんですか」

 洋一はその病気を知らなかった.緊張が走る.

急激な運動麻痺が起こる末梢神経障害です」

「これからの経過の予測としては2週間ほどにわたって麻痺が進行し,歩行障害,構音・嚥下障害や呼吸障害をきたす可能性があります」

「そこからはほとんどがよくなっていくとされています.亡くなることはまれで,後遺症が残るのは約20%ほどです」

「よくなるんですか?」

「約80%は数か月から1年でほぼ完全に機能回復することが多いですね.ただ,完全に今までのように体が動かせるようになるかは分かりません」

「そんな……選手には戻れますよね?」

「一年はリハビリしていただくことが多いと思います.そのあと後遺症などなければ,可能だとは思いますが」

「一年も?」

 一年後復帰したとしても30が近い洋一にとって選手としての寿命ギリギリだ.それに少なくとも一年は練習ができないし,そもそも復帰できるかも分からない. 

「治療ですが,確定診断がつき次第,自己免疫疾患なので免疫調整療法を行います.免疫グロブリンを静注しましょう(IVIg).また状況によっては単純血漿交換療法という血液浄化療法を実施することもあり得ます」

「……お願いします」

 どんなに先が苦しくてもとにかく今は治療をしなければならない.理屈では分かっていても,どうしても納得がいかなかった.

「先生.どうしてこの病気を発症したんですか」

「前に風邪をひかれたと仰ったでしょう.今となっては何の病気だったかは分かりませんが,そういった先行感染に伴って産生された抗体によって自己免疫反応が引き起こされ,末梢神経の髄鞘や軸索が障害されて引き起こされると言われています」

「風邪!? 風邪のせいなんですか!?」

「そうですね.風邪といっても重めの症状が出ている時に発症することがあります.特にカンピロバクターの先行感染が最も報告されていますが,ともあれギランバレー症候群の約70%に先行感染を認めています」

 頭が真っ白になる.

 風邪,ただ風邪を引いただけでこんな目に合わなければいけないのか.何の冗談だろう.

 ただそれだけで,選手人生を,家族との幸せを奪われるのか.

 その後の検査を終え,ギランバレー症候群に間違いなかったことを告げられ,医者や看護師の説明を上の空で聞きながら流されるままに入院することとなった.

***

数日後,カルテには以下の記載があった.

深部腱反射 上腕二頭筋・上腕三頭筋・膝蓋腱・アキレス腱 いずれも両側で低下

神経伝導検査で伝導速度の低下あり

血液検査にて,抗ガングリオシド抗体 陽性

髄液検査にて,蛋白↑ 細胞数→

病歴と上記よりギランバレー症候群と診断.

 夕日が差し込む西向きに窓が面していた.中央から見渡しやすい位置に配置されたベッドには大仰な機械が多く付属しており,洋一は最初ここまで必要あるかと内心笑っていたものだが,後にギランバレー症候群の治療に必要となるものも多かった.

 白一色の部屋では多くの患者並べられ,あちこちからピッピッとベッドサイドモニタの音が鳴る.その部屋の中心では医師や看護師が忙しなく駆け回っていた.洋一はICUに入院することとなったのだ.

 経過は散々なものだった.

 徐々に動かなくなる体.

 足の先から始まり四肢が動かなくなる病気だと思っていたが,実際には全身を侵す病気で体全体が全く動かせなくなっていった.

「嚥下機能も落ち込んでますし,このままでは自発呼吸も止まってしまいますね.血漿交換とレスピレーター管理が必要そうです」

 医者のそう言う声が聞こえ,病気が全身を蝕む痛みに耐えながら人工呼吸器をねじ込まれた.

 目の神経もおかしくなってきているのか,ものが二重で見えることも多くなってきている中,洋一は毎日のように見舞いに来ていた美恵と真理は来る度に心配そうな顔をしているのだけは鮮明に見えた.洋一は症状が酷く喋りかけることはできなかったが,例え話しかけられたとしてもかける言葉は思いつかなかった.

 ああ,なんて無様なんだろう.

 なぜ,あの時試合に出ようとなんてしてしまったのか.こんな状態と分かっていればどうせ先はないのだし出る必要はなかった.真理に酷い父親の姿を見せただけだ.

 それに,ギランバレー症候群は治療が早ければ早いほど治療効果が高いという.すぐ病院に行っておけばと思う気持ちもある.

 唯一安心したのはギランバレー症候群は死亡することはまれということだ.症状が出ている期間は長いがある意味一過性の病気とも言えるだろう.

 だから,家族に言うことがあるとすれば,わざわざ見舞いなど来ないでくれ,こんな恥ずかしい俺の姿を見ないでくれ,それだけだった.

***

 入院してから2週間か3週間ほど経った頃にどうやら山場は越え,さらにそこから2か月ほどかけて少しずつ,少しずつ厄介な症状が引いていった.

 まず,人工呼吸器が取れた.入れられている時の感覚は気持ち悪いったらありゃしないので何よりも嬉しかった.

 そして徐々に体が動かせるようになってきた.介助があればベッドから起き上がることもできた.飲み込みにくさも改善され,少しずつならご飯も食べられるようになった.

 洋一の経過を見て美恵は本当に嬉しそうな顔をしていた.真理は症状がよく分からずずっと真剣な顔をしていた.

 洋一は言葉を発せるようになっても美恵と真理の前では喋れないふりをしていた.まだ,言葉が見つかっていなかった.

「よかったね,よかったね」

 少しずつ起きがれるようになった洋一を見て美恵は涙ながらにつぶやく.

 しかし洋一は全身が全く動かない地獄を経験しながらもどうしてもそうは思えなかった.

 確かに徐々に治ってはきているが,入院前に比べれば体の動かしにくさは強くなっているし,いくらリハビリを続けても発症前のように完全に治すのは難しいことを実感として捉えていた.

***

「もっとリハビリの量は増やせないんですか」

 そこからさらに2ヶ月たち,それまでの拘縮防止のための理学療法士による受動的なリハビリからリハビリテーション室に赴いての本格的なリハビリが始まった.

 雨の臭いが立ち込めるリハビリ室は外のベランダに出られる扉が開け放たれており冷たい風が汗を冷やす.

「ここで無理してもよくないですよ.早くよくなりたいのは分かりますけど,少しずつリハビリしていきましょう」

 理学療法士の手を借りながら歩行訓練をする洋一は愚痴をこぼす.何日リハビリをしようとよくなる兆しがなかった.

 洋一は嫌な予感が当たったと思った.この病気によって自分はもう元のようには体を動かせないのだと.もう満足に泳げないのだと.

 美恵と真理の見舞いの頻度も減ってきていた.ここにきても2人とまともにコミュニケーションをとっていないので何をしているのかは知らない.

 眠れない夜が増えた.競泳選手としての生き方しか知らなかった洋一はどうすればよいのか見当もつかなかった.

***

 味付けの薄い夕食を食べた後,何をするでもなくベッドで横になっていると,遠くのナースステーションから看護師たちの笑い声が聞こえる.

 洋一は一般病棟の四人ほど入れる大部屋の窓際に移動していた.入り口側の1スペースは一週間前に退院してから空きになっている.

 窓の外はこの寒さに似つかわしく真っ暗で救急車受け入れの赤点灯のみ辺りを照らしていた.

 そろそろ話をしないといけないな,と思う.

 発症から6か月が経ち,洋一は体調を取り戻しつつあった.

 しかし,依然として体の動きは自由自在とは言えず,スポーツ選手としてやっていけるとは思えない.

 この状態が長く入院治療をしていた影響なのか,はたまた確率は20%ほどと言われていた後遺症を引き当てたのか分からない.

 それでも日に日に不安は募る.思いつめ,この頃はそれを通り越して絶望していた.

 ここ半年ほど家には収入がほとんどない.美恵が自分の仕事をと頑張ってくれているそうだが,いきなり多くの仕事を得るのは難しく,子育てとの両立もあり,苦労しているようだった.

 洋一も腹をくくる覚悟ができてきていた.スマホを取り出し電話をかける.

 相手は2コールもないうちに電話を取った.

「どう? 体調は」

「うん,よくなってる.そっちは?」

「よかった.こっちはどうでもいいでしょ.真理はブーブー言いながら,お父さんのぶん部屋が大きく使えて楽しそうだよ」

「はは.子供は柔軟だな」

「そうね.私もここのところ忙しいから,真理に構ってあげられなくて可哀想なんだけど,どうしてもね……」

「そう」

 一瞬の沈黙が流れる.お互いに何と言葉をかけようか迷っているようだった.

「……次いつ病院に来る?」

 洋一がこう言うのはとても珍しかった.長い間,自分の治療時の痴態を見られたくないと思っていたからだ.

「……明日行くよ.真理も連れていく」

「そう.分かった.ありがとう」

 用件だけ告げると電話を切る.二人の間に流れる妙な緊張感に耐えられなくなった.

 昔はこんな二人の間に溝のようなものはなかったはずだ.たった一つの病気でこう変わってしまうのかと思わずにはいられない.

 とにかく明日を待つ.何を言わなければならないかは分かっていたが,伝える内容を準備する気にはなれなかった.

第3話へ続く)

新着記事カテゴリー


 すべて

 国試

 CBT・OSCE

 動画・アプリ

 実習・マッチング

 研修医・医師

 コラム

 その他