[読み物]医学界の偉人伝(その2)カルロ・ウルバニ
みなさんこんにちは!S藤です。
昨年初めて発生が報告された、新種コロナウイルスによる感染症、
MERS(Middle East respiratory syndrome:中東呼吸器症候群)が、
現在、中東でじわじわと広がっているようですが、
2003年には、同様に新型コロナウイルス感染症であった
SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome:重症急性呼吸器症候群)
が猛威をふるったことを覚えているでしょうか。
「医学界の偉人伝」第二回は、
SARSの発生にいち早く気付き、命を賭けて調査・治療を行い、
早期の収束に貢献したカルロ・ウルバニ医師についてお送りします。
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SARSと闘った男
カルロ・ウルバニ
2003年春、ある病気が世界を震撼させた。
その名はSARS(重症急性呼吸器症候群)。
のちに700名以上を死に至らしめるウイルスである。
この存在にいち早く気づき、警報鳴らした医師、それがカルロ・ウルバニだった。
ウルバニがこの世に生をうけたのは、1956年10月19日。
その生涯は46年という短い期間で閉じられることとなる。
死因は、SARSによるものであった。
SARSの報告は、彼の命がけの貢献であったといえよう。
◆未知のウイルスとの遭遇◆
2003年2月末、国境なき医師団を経てWHOに入り、
感染症対策の専門家としてベトナム・ハノイに赴いていたウルバニの元に、
市内の民間病院から、見慣れない症状を見せる患者に関する助言の要請が入る。
患者は中国系アメリカ人のビジネスマンで、
肺炎が重症化したような症状を引き起こしていた。
ウルバニの知る限り、わずか5日程度で健康な成人を重症化させるような疾患は過去に例が無かった。
彼は、これが新種のウイルスによるものであることを確信していた。
そして、そのことをWHOの関係者やベトナムの保健政策責任者に説き続ける。
しかし当初、ベトナム保健省は単なるインフルエンザの変種だろうと事態を軽く見ていた。
程なくして、医療スタッフの中からも、不調を訴える声が出始める。
未知の病気に見舞われたスタッフは、パニック寸前に陥った。
ウルバニは、その治療にあたりつつ、WHOにSARSの診断基準の骨格となるデータを提出する。
しかし、彼自身も感染から逃れることは出来なかった。
◆世界を救った医師◆
2003年3月29日、最初の患者に出会ってから約1ヵ月、ウルバニがこの世を去った。
彼の亡き後、世界的なサーベイランスが強化されたことにより、
多くの新規患者が発見され、病院の医療従事者に二次感染が生じる前に隔離された。
最終的に死者700名を超えた段階で、SARSの流行は収まった。
しかし、ウルバニ医師の命を賭けた奮闘が無ければ、死者は4桁になっていたかもしれない。
彼は世界を救ったのである。
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いかがでしたか?
国境なき医師団として働いていたウルバニは、持ち前の責任感と患者を思う気持ちから、
未知のウイルスによる危険を感じながらも現場の人々を励まし続け、
自らも患者と接しながら対応を行っていたそうです。
多くの人々を救ったウルバニ医師ですが、
妻と、3人の子供を残し、若くして亡くなってしまったのは本当に残念ですね。。。
次回の医学界の偉人伝は、
“不器用な手がつかんだ成功”エミール・テオドール・コッハー
をお送りします。
どうぞお楽しみに!
(編集部S)