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国境なき医師団やJICAで働く(4:ナイジェリア)~竹中裕先生~[みんなが知らない医師のシゴト]
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【国境なき医師団で働く その2】
↑本記事の目次です
さて、実際に国境なき医師団(以下MSF)のプロジェクトに参加すると(ミッションと呼ぶ)、どのような日々が待っているのかについて、私の経験を述べたいと思う。
これまでに計8回のミッションに参加したが、そのうち3回はナイジェリアのジガワ州で行われている産科救急のプロジェクトであった。
それぞれ2011年、2013年、2017年のことであり、年を経るごとに少しずつ状況も異なっている。
■ナイジェリアの人口や民族―アフリカ最大で,混沌とした雰囲気
ナイジェリアはアフリカの中でも大国である。
特に、人口に関しては2億人近くを擁し、事実アフリカの中でも最大である。
民族・言語・宗教・風習も地域によって異なっており、混沌とした雰囲気を醸し出している。
ジガワ州は北部のイスラム教文化圏にあり、ナイジェリアの主要3大民族のひとつであるハウサ族が人口のほとんどを占める地域である。
比較的貧しい。
ナイジェリアのイスラム過激派で有名なボコ・ハラムはさらに北東地域に展開しており、ぎりぎりその影響が届かないぐらいの地域である。
■2011年の訪ナイジェリア―expat1名含む10名程度のチーム
2011年の訪ナイジェリアが、私にとっての初めてのサハラ以南アフリカ体験であった。
英語で仕事をするのも、MSFに参加するのも、アフリカも、何もかも初めて尽くしであった。
だいたいどのプロジェクトでも、私のような外国人(いわゆるexpatriate、略してexpatと呼ぶ)と現地のスタッフの混成のチームで日々の業務が行われていく。
2011年当時は、
産婦人科医のexpatは一人で、
そのほか手術室看護師、
麻酔看護師(アメリカやフランスをはじめ、日本以外の国では麻酔看護師制度を設けている国もある)、
アウトリーチ担当の看護師、
助産師、
医療チームリーダー、
会計、
物流 など10人程度のチームであった。
国籍は、日本人の私をはじめ、フランス人、チェコ人、アメリカ人、カナダ人、ウガンダ人、などなどである。
■ナイジェリアでの業務―VVFや子癇などが多い
ナイジェリア人の医師(産婦人科医ではなく一般医 general physicianであるが、妊婦健診や産科救急、簡単な帝王切開ぐらいであればトレーニングされている)3名とともに回診・手術・分娩・オンコールなどを担当する日々であった。
また、プロジェクトでは同地域に多い産科的膀胱膣ろう(vesico-vaginal fistula; VVF)の治療も手がけているが、VVFの手術はナイジェリア人の専門医が担当しており、われわれ産婦人科医のexpatの担当ではなかった。
日本でもVVFの症例はみることがあるが、癌やその治療の合併症、手術の合併症により生ずる症例のみで、産科的VVFをみることはない。
すでに先進国では根絶された産科合併症であるが、まだまだ自宅分娩の多いサハラ以南のアフリカではいまでも日々遭遇する疾患である。
その治療には専門的な経験と技術を要するため、多くの先進国から来た産婦人科医には治療のできない病態なのである。
現地に赴いて最も驚いたことは、子癇の患者が非常に多いことである。
最初は、子癇の患者が運ばれてきても、顔色ひとつ変えない助産師の対応にとても驚いたが、毎日数例の子癇の症例が運ばれてくるのだからそれも当然である。
私も3日後には自然と同様の反応を示すようになった。
子癇だけでなく、周産期の心筋症や常位胎盤早期剥離といった、高血圧に関連する妊娠中の合併症も非常に多かった。
そのほか、死産や新生児死亡はほとんど毎日のように見られるし、ヘモグロビン1-2台の重度の貧血もあるし、日本ではまずお目にかからないマラリア合併妊娠も来るしと、とにかく産科救急症例には事欠かない日々であった。
■ナイジェリアでの業務―母体死亡率は日本のおよそ100倍
患者(妊婦)のなかには妊婦健診を受けていないものや、自宅分娩を試みるもどうしようもなくなって最終的に運ばれてくるものも多い。
分娩があまりにも遷延したり、あるいはかつて帝王切開の既往がある場合などは、子宮破裂のリスクが高まる。
そういった症例は本来適切に医療機関で分娩の管理が行われなくてはならないが、そもそもそのような地域ではMSFが産科のプロジェクトを行う必要もないわけで、子宮破裂の症例も多く経験することとなった。
最もつらいのは、やはり母体死亡があったときである。
日本での母体死亡率(以下MMR)は5/100,000とされており、ナイジェリアではおよそその100倍である。
ジガワ州は比較的貧しいため、同州のMMRは国内平均値よりも低いと考えられ、さらに我々が勤務している病院は地域の産科医療の最後の砦であり、比較的重症の症例が集まるため、母体死亡への遭遇は避けられない運命にある。
逆に、死亡には至らないが救命可能な重症症例もその数倍はあり、草の根レベルでこのような症例を積み上げていくことこそが、MSFで働く最大の醍醐味といえる。
■2013年の訪ナイジェリア―治安が心配されるも無事に遂行
さて、2013年にはナイジェリアに2回目の派遣となった。
症例や日々の業務は、2011年次に比べてやや増えた程度であった。
最大の変化は、周辺の地域で発生した外国人誘拐事件の影響で、私以外のexpatがすべてアフリカ人(つまり黒人)で占められていたことだ。
誘拐の恐れがあるため、しばらくの間はアフリカ人expatのみでプロジェクトを運営していたが、そろそろ治安も落ち着いてきたこともあり、アフリカ人以外のexpatの派遣も再開しようとした時期にちょうどあたったのだ。
幸い、十分に治安状況も考慮されており、全く問題なく派遣を終えることが出来た。
■2017年の訪ナイジェリア―医療環境は着実に向上するも,出口戦略は不明瞭
さらに2017年に入って、3回目の同地域への派遣があった。
過去に比べて症例数は倍以上にもなっており、expatの産婦人科医が2名となっていた。
前半、共に働いたのは63歳のインド人医師、後半のパートナーは67歳のアメリカ人医師だった。
また、かつては酸素吸入器しかなかった3床のICUが7症に増床されており、かつexpatの麻酔科医の派遣もあり、より重症例にも対応できるようになっていた。
月間の分娩数は500件程度あり、患者が増えていることで、救命できる症例は増えているものと予想されたが、一方ですでに9年程度続いているこのプロジェクトの出口戦略がどのようなものであるのかは、少なくとも現場にいる我々にはわからないままであった。
MSFが同地域での産科診療において極めて重要な役割を担っていることは間違いないと思われるが、いつどのような形で現地政府や他の機関に引き継がれるかは、現場においては見えてこないことが気になりつつ現地を後にした。
~第5回へ続く~
※全10回を予定しています!続きもお楽しみに!
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