薬がみえるシリーズ
国境なき医師団やJICAで働く(5:パキスタン・ソマリア)~竹中裕先生~[みんなが知らない医師のシゴト]
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【国境なき医師団で働く その3】
↑本記事の目次です
そのほかのミッションについても、記憶に残ることを書き記してみたい。
パキスタンへは2回派遣された。2回とも、北西部の都市、ペシャワールというところである。
アフガニスタンの国境から数10キロの距離にあり、ペシャワールの郊外にはアフガニスタンから逃れてきた難民が多く住んでいた。
彼らは医療へのアクセスが乏しいため、MSFが無償で医療を提供する産科病院を設置し、そこで働くこととなった。
■パキスタン―厳格なイスラム国家ならではの困難
パキスタン・アフガニスタンは厳格なイスラム国家であり、たとえ産婦人科医といえども、患者さんたちは簡単には肌を見せない。
なかには、男性の産婦人科医に診察されるぐらいなら死を選ぶと考えている女性もいる。
そのため、通常であればパキスタンやアフガニスタンなどの国には、女性の産婦人科医が派遣されることが多い。
しかし、ここにビザの壁が立ちはだかる。
少なくとも2011~12年当時、日本人は簡単にパキスタンのビザが取得できたが、国籍によっては(アメリカやいくつかのヨーロッパ、アフリカの国など)ビザを取ることが極めて困難な状況であった。
そのため男性の医師でもいないよりはましということで、私が派遣されたようだ。
■パキスタン―主に手術室で勤務を行う
プロジェクトが立ち上がったばかりだったということもあり、業務量自体は先に述べたナイジェリアのミッションに比べると比較的楽であった。
また、ペシャワール自体が人口200万人を超す大都会であるため、周りにも大学病院から私立のクリニックまで多数の医療機関があり、金銭的な問題は別にして、医療過疎という状況ではなかった。
加えて、男性医師であることで、通常の分娩や産科的内診を行うような業務はほぼ不可能で、主に手術室での勤務を行っていた。
■パキスタン―爆撃や発砲は毎日起こる
市内では毎日爆弾攻撃や銃の発砲事件があり、毎朝セキュリティーミーティングが行われ、移動もほぼ宿舎と病院に限られていた。
セキュリティミーティングにて
実は、2001年、アメリカでの同時多発テロが起こる直前に旅行で一度ペシャワールを訪れたことがある。
その当時は自由に街中を観光しながら歩いていたことを思い出しながら、10年の月日を思うのであった。
2014年には、100人を超える犠牲者を出したテロ事件が起こったことが報道された。
■ソマリア―ソマリアという国
もうひとつ、ソマリアを訪れた際のことについても記したい。ソマリアといっても、私が訪れたのはソマリランドである。
そういわれてもピンと来ない方も多いかもしれない。
現在(私が訪れた2013年当時も)、ソマリアは事実上3つの地域に分かれている。
ソマリランド、プントランド、そして残りの地域である首都のモガディシュを有する狭義のソマリアである。
狭義のソマリアからはテロの報道などが絶えない。
ちなみに、モガディシュの戦闘を描いた、“ブラックホーク・ダウン”という映画(2001年、アメリカ)があるが、名作なので、未見の方は是非Tsutayaにでも借りに行ってほしい。
また、ソマリランドについては冒険作家、高野秀行による“謎の独立国家ソマリランド”に詳しく描かれている。
高野氏は世界各国の辺境を旅する作家だが、どの本も名作ぞろいなので、是非読んでみてほしい。
特に、将来途上国での医療目指す方々には参考になることも多いと思う。
■ソマリア―赴任して約10日後に突然の帰国
ソマリランドは、狭義のソマリアに比べると比較的治安も落ち着いているという前情報のもと、3ヶ月の契約で現地に赴いた。
宿舎と病院以外の外出が禁止なのは他のプロジェクトでも経験済みだったが、毎日の出勤・退勤は護衛付のコンボイ(車列)、夜間の勤務は禁止と、これまでに比べても厳しい治安状況をうかがわせた。
そして、私が赴任して約10日後、突然expatミーティングが開かれ、翌日全員が帰国することが伝えられた。
理由は治安の悪化である。不完全燃焼な気分のまま帰路に着いたが、世の中、いろいろなことがあるものである。
現地の看護師から聞き取り調査
~第6回へ続く~
※全10回を予定しています!続きもお楽しみに!
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