ウクライナ人医師が語る「戦争と医療」について -前編-
2022年2月24日.午前4時,一本の電話で目を覚ましました.夫からの電話でした.
「落ち着いて聞いて.ゆっくりでいいから起きて,両親に連絡して.ロシアが攻撃を始めた.爆撃があった.……今,空港にいるけど,飛行機は飛べない.滑走路が破壊された.でも私は大丈夫だ.」
もし,ある日突然,自分のキャリアが大きく変わってしまったら,あなたはどうしますか.
もし一晩で将来のすべての計画が消えてしまい,これからどこへ進めばいいのか分からなくなったとしたら.
はじめまして,ガリーナと申します.
私はウクライナ出身の医師で,小児科医・小児循環器医,そしてリハビリテーション医学を専門としています.2022年2月以降,私はずっとこの問いへの答えを探し続けています.
これは,医療,戦争,安定を失うこと,新しい国との出会い,そして再び自分の道を見つけようとする過程についての物語です.

目次
第1章:若者の街・ハルキウでの成長

ハルキウの町
私は,ウクライナ東部にある第2の都市ハルキウの出身です.
多くの大学が集まる現代的で活気ある「若者の街」でありながら,温かく人間味に溢れ,自然と「自分の居場所だ」と感じられる美しい故郷です.
普通の家庭に育った私ですが,国家による手厚い課外教育支援制度のおかげで,安価に多くのことに挑戦できました.
通常の学校に加え,7年間通った音楽学校(ピアノや合唱),5年間通った美術学校(デッサンや彫刻),そして国内大会に出場し資格も得た大好きなヨット競技に取り組みました.このように自分を探し,成長できた経験が今の私を形作っています.
第2章:突然訪れた「医師への決断」
ハルキウは,私が生まれ育ち,そして医師としての第一歩を踏み出した場所でもあります.実は私は大学入試のわずか2か月前まで,国際経済の道に進む準備をしていました.
しかしある朝,目覚めた瞬間に「私は医師にならなければならない,これが自分の道だ」という明確な感覚に襲われたのです.家族に医師はおらず両親は驚きましたが,「あなたの人生だから自分で決めなさい」と背中を押してくれました.
今振り返ると,ハルキウでさまざまなことに挑戦し,自分自身を探すことができた経験が,今の私を形作ったのだと思います.
ハルキウは,私が生まれ,育ち,学び,部署としての第一歩を踏み出した,かけがえのない故郷です.

私の母校であるハルキウ国立医科大学
それからの10年間は,学びと仕事の連続でした.教科書に向かって眠れない夜を過ごし,初めての夜勤を経験し,ミスをすることへの恐れと向き合いながらも,小さな成功に喜びを感じる日々でした.初めて担当した患者さんたちのこと,そして「自分は本当に誰かの役に立てている」と実感した瞬間は,今でもはっきり覚えています.
第3章:医師としての最初の一歩
インターンシップの期間中,私はウクライナ南部,黒海に近い都市ミコライウへ配属されました.この街は造船業の中心地として知られており,広い川と開放的な空間があり,大都市ハルキウとはまた異なる雰囲気を持っています.

ミコライウの町
当時のウクライナには「配置制度」がありました.国費で大学に通った学生は,卒業後に数年間,国の医療機関で勤務する義務がありました.インターンシップの配属先もこの制度によって決まり,若い医師は人手が不足している地域へと派遣されていました.
インターンシップの一つのローテーションで,私は地域担当の小児科医のもとに配属され,外来診療の現場に深く関わる機会を得ました.
幸運なことに,私の指導医は同僚からも患者からも深く信頼され,愛されている医師でした.
初日は一緒に外来診療を行いました.彼は知識だけでなく,教科書には載っていない実践的なことも教えてくれました.私はたくさんの質問をし,診療後も数時間残って,さまざまな症例について話し合いました.
そのとき私は思いました.「これはきっと,インターン期間の中で一番充実した時間になる」と.
実際にそうなりました.ただし,それは私が想像していた形とは全く違うものでした.
翌日,指導医が突然亡くなったと知らされたのです.原因は虚血性脳卒中でした.
そして同じ日に,私はこう告げられました.
医師不足のため,彼が担当していた地域を私が引き継ぐことになる,と.
こうして私は突然,約800人の子どもたちの健康を任されることになりました.
それは10月,ちょうど呼吸器感染症の流行が始まる時期でした.外来では1日に20~30人の患者を診察し,さらに5~15件の往診も行っていました.
往診の内容はさまざまでした.新生児の診察や若い親への初めての育児相談から,高熱や肺炎などで通院できない重症の子どもたち,さらには継続的なケアが必要な障がいのある子どもたちまで含まれていました.
毎日が迅速な判断を求められる連続でした.そして人生で初めて,本当の意味での責任を背負うことになりました.
もちろん,相談できる先輩医師は周りにいましたが最終的な判断を自分で下さなければならない場面も多くありました.
しかし私は,そのとき初めて,「医師である」ということの意味を実感しました.子どもの健康に責任を持つということ.
すなわち,親が自分にとって最も大切な存在,子どもの命を託してくれるということの重みを.
私の指導医は,短い時間の中で最も大切なことを教えてくれました.
それは,自分の仕事に対して誠実向き合うこと.そして,医学とは単なる知識ではなく,責任であり,その責任は勤務時間の外でも続いていくものだということです.
一緒に働いたのはわずか一日でしたが,その経験は今でも私の中に残り続けています.
第4章:充実した日々
その後,私はハルキウの小児病院で働き始めました.リハビリテーション医学の新しい部門で,ほぼゼロから立ち上げるプロジェクトでした.簡単な仕事ではありませんでしたが,私にとって非常に特別な経験でした.当時はまだ整った仕組みがなく,自分たちで一つひとつ作り上げていく必要がありました.
空間の設計から,院内の診療プロトコル,チームの連携まで,すべてを考え,形にしていきました.そしておそらくそのとき,私は初めて「医師としての責任」だけでなく,「医療に深く関わっている」という実感を持ったのだと思います.
既存のシステムの中で働くのではなく,その一部を自分たちで作っているという感覚でした.毎日は忙しく,決して楽ではありませんでしたが,とても充実していました.私は医師として,大人の人間として成長していると感じていました.

私と夫
その頃の私の人生は,すべてに意味があると感じられるものでした.キャリアは順調に進み,家庭も安定し,夫とともに未来を思い描いていました.
しかし,そのすべてが変わった瞬間がありました.
2022年2月24日,ロシアとの戦争が始まったのです.
後編の記事はこちら↓↓↓(8/28公開)

