ウクライナ人医師が語る「戦争と医療」について -後編-
※こちらは後編になります.
前編の記事はこちら↓↓↓
こんにちは,ウクライナ人で医師のガリーナと申します.小児科医・小児循環器医,そしてリハビリテーション医学を専門としています.
これは,医療,戦争,安定を失うこと,新しい国との出会い,そして再び自分の道を見つけようとする過程についての物語です.
目次
第5章:戦争のある日常
2022年2月24日.
ロシアとの戦争が始まり,現実が一変しました.

戦争で破壊された建物
窓のそばに立ち,サイレンの音を聞いていたことを今でも覚えています,その後、爆発音が響きました.街のあちこちで煙が立ち上っていました.まるで現実ではなく,映画のワンシーンのように感じられましたが,それを止めることはできませんでした.最初はただの衝撃でした.その後,心の中が静まり返ったような感覚がありました.

左:私が家族や友人とともに,砲撃から逃れるため地下室に身を寄せている様子.笑顔や歌でお互いを励まし,少しでも不安を和らげようとしていました.
右:ウクライナ西部への避難中の列車.車内がどれほど混雑していたかが分かります.写真では,私の夫が見知らぬ子どもを抱いています.長時間立ち続けて疲れ切っていた母親の代わりに抱いていました.
そしてすぐに,次に何をすべきかを考える冷静な判断へと切り替わっていきました.家族と連絡を取り,今後の行動について簡単な計画を立て,必要最低限のものをまとめて家を出ました.交通機関はすでに止まっていたため,私は徒歩で両親のもとへ向かいました.そのときはまだ,自分の家に二度と戻れないかもしれないとは思っていませんでした.
その後の日々は,どこか曖昧な記憶として残っています.病院では緊急体制での勤務が続き,近くでは爆発が起こり,常に不安と隣合わせの状態でした.複数の家族で一緒に生活し,空襲警報が鳴るたびに地下へ避難しながら,新しい現実に少しずつ適応していきました.
やがて,私たちはウクライナ西部へ避難することを決めました.持っていたのは、それぞれリュック一つ分だけ――書類と最低限の必需品だけでした.どこへ向かうのかも分からないまま,とにかく危険から離れるために移動しました.
数か月を比較的安全な地域で過ごす中で,以前の生活にはもう戻れないということを少しずつ理解していきました.ちょうどその頃,日本へ行く機会が訪れました.
順天堂大学によるウクライナの医療者向けプログラムです.日本には姉が住んでいることもあり,私はそのチャンスを受け入れることにしました.正直に言うと,そのときはそれが一時的なものだと思っていました.
戦争は,最も軽い形であっても人の計画を奪います.そして最悪の場合には,命そのものを奪います.
しかし,それでも生き続ける人々にとって,戦争は人生の捉え方そのものを変え,何が本当に大切なのかを改めて考えさせるものでもあります.
第6章:初めての日本で
最初は,短期間のプログラムとして日本に来ました.この国が自分の人生の中でこれほど重要な存在になるとは,そのときは想像もしていませんでした.現在,私は順天堂大学の博士課程に在籍し,戦争が子どもの神経系に与える影響について研究しています.私の進む道は大きく変わりましたが,「人を助けたい」という気持ちは変わっていません.
日本(東京)での最初の印象は,とてもシンプルなものでした.
「なんて大きな都市なんだろう」ということです.私はウクライナで2番目に大きい都市ハルキウの出身ですが,それでも東京の規模には本当に驚かされました.この街は,速く,途切れることなく,非常に秩序立って動いているように感じられました.その一方で,これほど大きな空間の中では,一人ひとりがどこか少し孤立しているようにも見えました.

順天堂大学での私~心からの感謝を込めて~
最初の大きな課題の一つはコミュニケーションでした.英語は私が想像していたほど広く使われておらず,医療現場でも同様でした.多くの医師は英語を読むことはできますが,会話となると難しい場合が多いです.そのような場面では,ただ知識があるだけでは不十分で,それを伝え,相手に理解してもらうことの大切さを実感します.
また,私は初めて「外国人である」という感覚を強く意識しました.ヨーロッパでは人混みの中に自然に溶け込むことができますが,日本では自分が常に目立つ存在であることを感じます.時には少し戸惑うこともありましたが,小さな町であっても,人々はとても礼儀正しく,親切でした.
医療システムについても非常に興味深く感じました.特に印象的だったのは外来診療の仕組みです.空間が工夫されており,医師と患者は診察のときにのみ直接会う形になっています.また,看護師とのチーム医療も非常に効率的に行われています.
一方で,ウクライナでは異なるスタイルに慣れていました.通常,医師ごとに個別の診察室があり,診療と事務作業の両方がその中で行われます.また,多くの場合,看護師は特定の医師に専属で付き,常に一緒に働きます.
もう一つ興味深い違いは,医師と患者の間の距離感です.例えばウクライナでは,医師が患者に自分の仕事用の電話番号を伝え,診療時間外でも連絡を取り合うことがよくあります.一方,日本ではそのようなケースはほとんどなく,基本的には正式な診察の場でのみやり取りが行われます.
第7章:ウクライナでの医療教育について
よく「戦争中でもウクライナでは医療教育は続いているのか」と聞かれます.
答えは「はい」です.
教育は続いていますが,以前とは全く異なる環境の中で行われています.
現在,多くの大学はオンラインと対面を組み合わせた形で授業を行っています.講義はオンラインで受けることができますが,臨床実習は依然として重要な要素です.授業中に空襲警報が鳴ることもあり,その場合は全員が避難所に移動し,そこで授業を続けることもあります.
ある同僚は,病棟回診中にサイレンが鳴り,患者と一緒に地下に避難し,そのまま症例についてのディスカッションを続けたと話していました.これは,今の現実であり,私たちはそれに適応していかなければなりません.

ウクライナで行われている一般市民向けの応急処置トレーニング
現在は,従来の医学教育に加えて,戦術医療や緊急時対応の訓練にも大きな重点が置かれています.また,医療人材の予備力の形成も進められており,学生たちはキャリアだけでなく,社会における自分の役割についても考えるようになっています.困難な環境ではありますが,この経験は,命の価値と医師としての責任を深く理解する医療者を育てています.
現在のウクライナの医療体制について言えば,戦時下においても機能し続けていること自体が大きな成果です.多くの医療機関が被害を受けたり,運営方法の変更を余儀なくされたりしていますが,それでも医療は提供され続けています.
また,家庭医制度(プライマリ・ケア)が発展しており,患者は自分の医師を選び,日本よりも密接な関係を築く傾向があります.さらに,戦争の影響により医療体制はより柔軟になり,医師は不確実な状況の中で迅速に対応し,通常の医療と緊急対応を組み合わせて実践しています.そして,緊急時対応のトレーニングは,医療者だけでなく一般の人々にとっても日常的なものとなりつつあります.危機的状況で迅速に行動する能力は,誰にとっても必要な基本的スキルとなりつつあります.
この数年間で,私は医師という職業についての見方が大きく変わりました.
以前は,安定した環境,明確な計画,指示,そして将来への確実性が最も重要だと考えていました.
しかし,実際の経験はそれとは異なるものでした.
医療とは,単に知識や技術だけではありません.困難な状況の中でも「人として在り続けること」です.
そして,医師とは単なる職業ではなく,一つの考え方や姿勢なのだと感じるようになりました.それは,変化に適応し,学び続け,変わり続けながらも,共感する心を失わないことです.
大切なのは,すべてが計画通りに進まなくても,前に進み続ける力だと思います.
外国人医師が日本で働くことは可能でしょうか.
答えは「可能ですが,簡単ではない」です.例えば2023年には,日本で医師免許を取得した人のうち,外国人は約1%にとどまっています.最大の課題は言語であり,日本語の医療用語や文字体系には多くの時間と努力が必要です.これが今の私の主な目標かと言われると,そうではありません.
日本語は少しずつ学んでいますし,この可能性も視野に入れていますが,もはやキャリアを一つの道として限定的に考えてはいません.経験を通して,選択肢は想像以上に多いことを知りました.自分の将来がどうなるのか,正確には分かりません.日本で医師になるのか,研究を続けるのか,それともいつかウクライナに戻るのか.
ただ一つ確かなのは,私はこれからも前に進み続けるということです.自分の声に耳を傾け,目の前の機会を大切にし,そして人の役に立つことを続けていきたいと思っています.
そして同時に,「ただ生きること」も忘れないようにしたいと思います.何気ない一日一日こそが,実はとても大切なものだと,私たちは変化を経験したときに初めて気づくのかもしれません.
第8章:おわりに

最後に,皆さんに二つの問いを残したいと思います.
あなたにとって,医師であることとは何ですか.
そして,その道が変わる可能性を受け入れる準備はできていますか.
人生はとても予測できないものです.
だからこそ,「将来のため」だけでなく,「今」を生きることが大切だと思います.大切な人と過ごす時間を大事にしてください.何気ない日常を大切にしてください.人生を後回しにしないでください.世界への好奇心を失わないでください.
それは私が子どもたちの中にいつも見るものです.純粋な興味,開かれた心,知ろうとする気持ち.成長するにつれてそれは薄れてしまうことが多いですが,それこそが私たちを前へ進ませてくれるものだと思います.

