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国境なき医師団やJICAで働く(8:JICAで働く その3)~竹中裕先生~[みんなが知らない医師のシゴト]

 

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【JICAで働く その3】

↑本記事の目次です

 

 

■JICA本部で働く

 

 2015年~2017年まで2年あまり、JICAの本部(千代田区麹町)で働いたので、その経験についても記しておく。それ以前は都内のクリニックで生殖医療に従事していたが、勤務先との契約が1年というものだったので、年度末を迎えてあらたな就職先を探すことになった。1年間ずっと日本で過ごしていたことから、そろそろまた海外とつながりのある仕事を希望し、インターネット上でJICAの職員の公募をみつけて応募することとした。

 先のJICAでのインターンや専門家としての経験は、経歴として数えられる。応募要項には、国際経験10年程度と書かれていたが、実際にはその時点では、私には1年程度の国際経験しかなかった。JICAがその当時、MDを欲しがっていたのかどうかは不明であるが、最終的には採用されることとなった。

 

 

■国際協力専門員として

 

 私の職は国際協力専門員という、専門知識を活かしてプロジェクトの運営や管理を行う職種で、いわゆるJICAの普通の職員とは違うようだったが、そのようなことも入職後に知ることとなった。

 前回に書いた、JICAプロジェクト関係の活動を実際に担っているのは、JICAの職員ではなく、委託先であることが多い。JICAの本部では、プロジェクトの形成や運営、管理、評価などを担っている。

 普段は麹町のJICA本部に出勤する、いわゆるサラリーマン生活である。JICAへの就職が決まった時にまず行ったことは、靴・かばん・襟付きのシャツ・ネクタイ・タイピンなどの服飾関係の必要物資を購入することであった。まさに、就職を控えた新卒の学生と同様である。JICAの専門家を数多く経験している先達の産婦人科医からは、“海外では、仕事上はとくに外見で判断されることが多いので、高いスーツを買え”との教えを受けた。素直にその教えに従い、6桁(日本円)のスーツを青山(洋服の、ではなく地名)で仕立ててもらった。

●ザンビアにて。日本の支援で完成した病院

 

 

■海外出張

 

 出張がかなり多く、1年の1/3-1/2は海外で業務をおこなっていた。JICAの業務で訪れた国は、ザンビア、ウガンダ、シエラレオネ、ドミニカ共和国、アルバニア、モルドバ、中国、ベトナム、カンボジア、ウズベキスタン、タジキスタンなど当然旅行ではなかなか訪れることのできない国も多く、とても刺激的であった。

 最も印象に残っているのは、無償資金協力による病院建設の案件である。相手国からの要請により、その国に病院や病棟を建設する。同時に医療器材の供与も行う。そのため、日本側からは建築士や医療情報、医療機材のコンサルタントなどとチームをくみ、相手国の保健省(日本の厚生労働省に相当)の役人や、病院長をはじめとした院内の人間と各種の会議を行い、案件の詳細を詰めていく業務である。

 他のドナーと協力内容が二重にならないように調整を行ったり、実際に医療機材の使用が可能な人材がいるかを調査したり、症例数からベッドの数を決めたり、病棟のサイズを決めたりと、異なるプロフェッショナルが力を合わせて案件を形成していく様子は、手術室で様々な職種が働いているのと同様、チームのダイナミズムを感じさせる作業であった。JICAに在籍した期間が比較的短期間であったため、自分が携わった病院の完成を見ることはかなわなかったが、同様に精査された結果完成した病院を見るのは感慨深いものがあった。

 

 

●タジキスタンの橋を渡った山奥の診療所

 

 

■臨床能力の維持が不安

 

 最も不安であったことは、自分の臨床能力が維持できているかが不明な点であった。母子保健などの技術協力などのプロジェクトの内容によっては、産科的な知識が要求され、その都度論文などを読んで自分の知識のアップデートに勤めていた。

 また、現地の医療従事者にどのようなトレーニングを行うかという内容を詰めるような場では、自分自身の医療知識に関する勉強にもなる。また、各種ガイドラインを熟読したり、援助の世界における公衆衛生上の問題点などについては、どんどんと新しい情報が入ってくる。しかしながら、実際に患者を診察したり、分娩を取り扱ったり、ましてや手術する機会はまずない。

 

 

■“一人の医師”として

 

 もうひとつ気になることがあった。途上国、特にアフリカにおける医療従事者の絶対的な数の不足である。例えば、シエラレオネにおいては、人口あたりの医師の数は、日本の約1/100である。過労死や自殺の例を出すまでもなく、日本の医療従事者が激務にさらされていることはよく知られているが、それは途上国でも同様である。最前線で医療を提供している医療従事者たちの努力は並々ならぬものがあり、実際に例えば2014年の西アフリカにおけるエボラ出血熱の流行時には、多くの医療従事者が犠牲となっている。 

 一人の医師が途上国で臨床を行ったところでそれは草の根的な活動にすぎず、それよりは公衆衛生的観点からの活動のほうがより多くの命を救うことができるというのはその通りであるが、“一人の医師”として、再度医療活動を行うことへの渇望が抑えきれず、JICAを退職することとなった。

 マザーテレサの名言の一つに以下のようなものがある。“大きなことを出来る人はたくさんいるが、小さなことをしようとする人はごくわずかしかいない。”  

 

●シエラレオネの助産師たちと

 

 

 

~第9回へ続く~

 

※全10回を予定しています!続きもお楽しみに!

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