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イヤーノート2025(電子版)
医者は毎日訪れる患者さんを見て,少ない手がかりから病気を推測していきます.さながら病気の名探偵です.
ここに,ある病気の人のお話があります.
いったいなんの病気?
血液の病気ではあるようです.
病気の名探偵見習い,医学生の皆さんは,この謎が解けるでしょうか??
玄関の床に鍵が落ち,カチャンと音を立てた。
鍵を取り落としてしまったA太郎は、顔をしかめた。先週くらいから急に寒さが強くなった。手が白くかじかんで、痺れている。手袋をしたほうがいいのだろうか。雪も降っていないのに……。
鍵を拾って暖かい居間に入ると、ホッと一息つく。
「ただいま」
「大丈夫? 耳が真っ白だよ」
オンラインで仕事をしていたらしい妻がヘッドホンを外して振り返り、心配そうにそう言った。
「いつものことだよ」
ここ3年ほど、冬になると、A太郎は血の気が引いたように顔色が悪くなるのだ。洗面所の鏡に映る幽霊のような顔を見ながら蛇口をひねる。冷たい水がなんだか痛いような感じがして、手を引っ込めて温水が出てくるのを待った。
(こんなことではいかんな)
A太郎は来月のことを不安に思った。
『A太郎さん、12月から北海道に行ってもらえますか』
そう上司が言い出したのは最近のことだった。
『えっ……でも、調査には希望しないとお答えしたんですが』
『そうはいっても、他の方も小さいお子さんがいたりしますし、今行けるのはAさんしかいないんですよ』
あっちでのプロジェクトが上手く行ったら大出世ですよ、だからお願いします……と押し切られるような形でA太郎の転勤は決まってしまった。
確かに、出世につながるような仕事ではあった。20年間を共にしてきた妻も、自分はオンライン出社できる仕事だからと、快く承諾してくれた。
しかし、A太郎は気乗りしなかった。
別にわがままで嫌だといっているんではない。寒いと体調が悪いのだ。
暖かい東京の冬でさえこんなに体がしんどいように感じるのに、自分は北海道の過酷な冬に耐えられるんだろうか。
蛇口から出る温水と暖房の効いた部屋の空気のおかげで、徐々に顔色がよくなり、痺れが取れて体が楽になってきたのとは裏腹に、A太郎の不安は強まるばかりだった。
引越しの日は、すぐに訪れた。
新しいアパートに向かう道すがらA太郎はこう思った。
(なんだ、意外と大丈夫じゃないか)
札幌の交通網は地下がずいぶんと発達していて、移動する時あまり外に出る必要がなかった。まるで地下帝国のようだ。
家に着いた時、思わず「おお……」と声が漏れた.
貸家だが、一階なので庭がある。真っ白な雪が分厚く降り積もっていて綺麗だった.「思ったより広くていいお家じゃない」と妻もはずんだ声を上げた.
トラックはもう到着しており,庭には段ボールが積まれていた.引っ越しの業者が「お疲れ様です」と大声で挨拶をくれた.重そうな冷蔵庫を玄関から運び込んでいる.
「段ボールなら俺にも持てるな.早く運んでしまおう」
東京では叶わなかったが,広くて庭付きの家は夢だった.気分が上がってきたA太郎は,段ボールを抱えて業者の後から家の中へ入っていった.
段ボールを抱えて何往復かした頃,A太郎は急にめまいを覚え,庭の冷たい雪の上にへたりこんだ.心臓がドキドキして,頭も少し痛かった.
「大丈夫!?」
妻が駆け寄ってきた.
「寒いのが苦手なのに無理するから」
「うん,うん,大丈夫だよ……」
といいつつA太郎は自分の手をみて絶句した.手が青黒く変色していた.
妻と,駆け寄ってきた引越し業者に支えられて,A太郎は家の中に戻った.暖房をつけた部屋で上着を被る.妻が温かい飲み物を買ってきてくれた.
「顔色が悪いだけじゃなくて,なんだか白目のところも黄色い.寒いだけとは思えないわ」
「暖かくしてると良くなってきた気がするけどなあ……」
「ほら」
手鏡を渡されて確認すると,確かにひどい顔色だった.白目も黄色っぽくなっている.
「すぐ病院に行ったほうが良いと思う」
有無を言わせぬ口調で言われ,確かにこれは病気なのかもしれない,とA太郎は思った.
さて、A太郎さんの病気は一体、なんだったのでしょうか?
病気の名探偵見習いのみなさんなら、すでに「とある現象」が思い浮かんでいるのではないでしょうか.
確定診断のためのヒント:検査所見は以下のとおりです.
脈拍80/分,整.血圧132/80mmHg.眼瞼結膜は貧血様であり,眼球結膜に黄染を認める.胸骨右縁第2肋間を最強点とする収縮期駆出性雑音を聴取する.腹部は平坦,軟で,肝・脾を触知しない.
尿所見:蛋白(-),糖(-),潜血3+.
血液所見:赤血球252万,Hb 9.0g/dL,Ht 26%,白血球4,200(桿状核好中球2%,分葉核好中球70%,好酸球2%,単球5%,リンパ球21%),血小板32万.
血液生化学所見:総蛋白6.8g/dL,アルブミン3.2g/dL,総ビリルビン3.2mg/dL,直接ビリルビン0.8mg/dL,AST 38U/L,ALT 30U/L,LD 980U/L(基準120〜245),ALP 230U/L(基準115〜359),尿素窒素20mg/dL,クレアチニン0.7mg/dL,血糖90mg/dL,Na 142mEq/L,K 4.0mEq/L,Cl 104mEq/L.
そろそろおわかりでしょうか.
A太郎さんの診断は……
冷式AIHA
です! 手足が青黒くなるのはレイノー現象(チアノーゼ)でした.
それではみなさんまた次回!
↓ こちらの記事は以下の国試問題を元に作成したものです。
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