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【いいんちょーの僕です。】第6回 朱に交わらず,いられるか?

 

こんにちは.医学生の大山一慶です.

 

新型コロナウイルスの感染者数は,ここにきて再び増加を示しているようです.ただ現時点で,世間はまだ平静を保っているように感じます.対応の加減が難しいと思いますが,取り返しのつかない状況になってから「もっと早く手を打っておけば…」とならないといいですよね.再び事態が収束へ向かうことを願っています.

 

さて前回のコラムでは,“臨床実習が私たちの共感性に及ぼす影響”について書きました.「おかしいと思うことに注意しないと,次第に慣れて何も感じなくなってしまう!」最後にお伝えしたかったのはこんなメッセージです.

 

そこで今回は,私自身のエピソードを共有させてください.

以下の話は,私がごく最近に得た“共感性の喪失”体験です.

 

 

*****

 

SCENE 1

 

医療業界にようやく片足を突っ込んだものの,まだ半人前ともいえない臨床実習生.そんな僕らが医療の現場を回っていると,時に「おや?」と首をかしげるような場面に出くわすことがある.その例として,ここでは医師のPHS対応を挙げてみたい. 

 

 

…これはおそらく大学病院の至る所に見られる,ごくありふれた光景だ.僕の同級生などは,読んだところで「これの何がおかしいの?」と真顔で迫ってきそうである.

 

ただ,一度社会に出た身であるからなのかは知らないが,僕はこの状況に少なからずモヤモヤとすることがある.語弊を恐れずに言えば,「お金を払ってサービスを受けに来る相手に対して,このような対応がまかり通っていいものか?」と感じてしまうのだ.

 

ここでひとつ,あなたが今までに利用してきた様々な接客サービスを思い浮かべてみてほしい.銀行窓口,空港の搭乗カウンター,あるいはホテルのフロントなど何でもかまわない.そこで上記のような対応をされたとしたら,あなたはどう感じるだろう.

 

「医療と他のサービス業を一緒にするなよ」と,こんな言葉が飛んでくるかもしれない.でも僕にとって,それは傲慢な響きを含んでいるように感じる.どの業界も様々な制約がある中,それでもより良いサービスを提供しようと必死で努力している.医療も例外でなく,患者さんの目線から変えていけることはきっとまだあるんじゃないだろうか.

 

上記の光景を目にする度に,僕はそんな思いが湧くのを感じた.

 

…ところがである.

 

 

SCENE 2

 

ある日,教授の外来診察を見学する機会があった.

 

その患者さんの病状は重く,これから本格的な闘病生活を始める段階にあった.今後の治療について話が進むにつれ,患者さんの目からはポロポロと涙が落ちる.感情が揺さぶられるのを必死で抑えながら,僕はその様子を伺っていた.

 

“ピピピピッ!”

 

その時,不意に甲高い着信音が鳴り響く.突然でびっくりしたものの,僕はすぐにそれが自分の胸元で鳴る音だと気がついた.

 

僕はあわててPHSを取り出しながら,脇のスペースへと移動して電話に出る.発信主の指導医は僕の押し殺した声を聞くと,状況を察したのかすぐに電話を切った.

 

席に戻ると,診察はわずかな緊張を含んだ空気の中,先程から変わらず穏やかに進んでいた.僕自身も次第に落ち着きを取り戻し,前向きな気持ちを崩さない患者さんの姿勢に心を打たれながら,きっとこの光景を忘れないと感じていた.

 

“ピピピピッ!”

 

そこに再び,あの音が僕の胸から鳴り響いた.僕はつい十数分前と同じように,脇のスペースへと駆け込むと発信主からの要件に対応した.

 

結局,1時間近い診察のあいだに,同じことがもう一度起こった.

 

 

SCENE 3

 

患者さんが部屋を出られた後,教授はこちらを振り返ると穏やかに口を開いた.

 

「外来診察中は,基本的にマナーモードにしておくんだよ.」

 

PHSのことを何か言われるかもしれないと感じていた僕は,教授がすべてを言い終える前から「申し訳ありませんでした」と深く頭を下げた.着信音で二人のやりとりを妨害してしまったことについて,とにかく申し訳ないと感じていた.

 

しかし僕の中でにわかに混乱が始まったのは,診察室を出てひとりになってからのことだった.

 

「…なぜ,マナーモードという選択肢を思いつかなかった?」

 

そう.僕は教授から指摘されるその瞬間まで,自分のPHSをマナーモードにするという考えが一切浮かばなかったのだ.1度目の着信があった時点で容易に思いつきそうなことにも関わらず,”まるで思いも寄らなかった”なんて馬鹿げたことがあるだろうか.

 

狐につままれたような気分で,僕はただ混乱していた.

 

 

SCENE 4

 

そして今回の件を冷静に分析していくにつれて,僕はさらに動揺することになった.

 

病院内で鳴り響くPHSとその対応に幾度となくふれる中で,どうやら僕はこの現場における暗黙のルールを無意識のうちに取り込み,思考停止状態に陥っていたのである.

 

その1つ目のルールとは,「PHSは音を出す」というものだった.笑われるかもしれないが,実際に僕はマナーモードになっているPHSをこれまで一度も見たことがなかったのである.少なくとも僕にとってのPHSとは,例外なく音を立てるものだった.

 

そして2つ目.最も恐れていたことではあったが,「患者さんの前でPHSが鳴っても,それは仕方のないこと.患者さんもそれを理解してくれる」という意識が,自身の内にも芽生えていた.僕はそのことに,はっきりと気がついてしまったのだった.

 

これらふたつのルールが自身の一部に取り込まれていたため,あの場で“マナーモード”という選択肢が頭から消えていた,という結論.情けないが,どれだけ頭をひねっても,僕にはそうとしか考えられなかった.

 

この結論は僕を焦らせ,落ち込ませた.意識の上では散々,反面教師として目の前の光景を受け止めていたはずだった.それでも無意識下では,着々とそれらを自身の価値観に取り込んでいたのだ.

 

「朱に交われば赤くなる」ということわざがあるけれど,自分自身を取り巻くルールや慣習から健全な距離を置き,状況に応じていつも適切な行動を選ぶことがどれだけ難しいことなのか,身をもって学ぶ機会となった.

 

自分にいま必要な経験だったと捉えて,もう一度気を引き締めようと思い直す.

 

 

翌朝,僕は学生用のPHSを手に取ると,すぐにマナーモードボタンを探した.きちんと最初から用意されていたそのボタンを見つけると,僕はそれを長押ししてみる.

 

まもなくマナーモードの表示が画面に表れると,僕はどこかほっとした気分で実習場所へと向かった.

 

*****

 

 

最後まで読んでいただき,ありがとうございました.

 

今回は,このあたりで!

 

■筆者プロフィール

大山一慶:関東にある大学の医学部5年生.慶應義塾大学法学部卒業.株式会社リクルートへ入社後,脱サラしバンドマンに.その後いくつかのキャリアを経て,現在の大学へ入学.第252回日本循環器学会関東甲信越支部Student Award最優秀賞.心電図検定3級.ディープラーニングG検定2020#1.ご連絡はmailもしくはtwitterまでどうぞ.