コラム

【いいんちょーの僕です。】第13回 “AYAがん”を経験するということ vol.2

こんにちは!医学部5年生の大山です.

第115回医師国家試験が終わりましたね!なかなか一筋縄ではいかない問題も多かったと聞きました…6年生の皆さん,本当におつかれさまでした.

…そしていよいよ,次は私たち5年生の出番がやってくるんですね(汗).あっという間のことで,とても信じられない気分です.

臨床実習の合間にも,待機室で勉強に取り組む人の数が増えてきた気がします.私もあと1年,コツコツとやれることをやっていけたらと思います!

25歳で胎児性がん,27歳で精巣がんを経験された岸田徹さん

前回のコラムにひきつづき,“AYA week 2021”(外部サイトへ)の有志企画の一環としまして,若い世代に“がん”を経験された方へインタビューをさせて頂いています.

今回インタビューをさせて頂いたのは,20代の時に2度のがんを経験された岸田徹さんです.岸田さんは現在,がん経験者の方へのインタビューをリアルタイムで配信するNPO法人,“がんノート”(外部サイトへ)の代表理事を務めていらっしゃいます.また,国立がん研究センター企画戦略局の広報担当としても活躍されており,過去にはアフラックのCMにて,嵐の櫻井翔さんと共演されたご経験もお持ちです.

さらに今回の“AYA week 2021”において,共同実行委員長を務められている岸田さん.このインタビューでは,ご自身のがんのご経験や“AYA week 2021”についての想いを医学生向けにお話し頂きました.

1.岸田徹さんの“AYAがん”体験

– 本日はどうぞよろしくお願い致します.岸田さんは25歳の時にがんの宣告を受けられたと伺っているのですが,当時のことを教えて頂けますか.

関西の大学を卒業した後,上京して渋谷のネットベンチャー企業で働き始めました.当時は四六時中仕事をしたいと思っていたので,会社から徒歩90秒のところに部屋を借りてがむしゃらに仕事をしていたんです.将来は海外で働きたい,そのために世界で通用する人にならないといけないと思って,20代30代でめちゃめちゃ力をつけようと頑張っていました.

– 最初にご自身の異変に気づかれたのはいつ頃だったんですか.

社会人2年目の春先ですね.ようやく仕事にも慣れ始めた頃,首に腫れ物ができてきて「ちょっと体調悪いな」と思って.それで渋谷のクリニックに行ったのですが,インフルエンザ等ではなく,「じゃあちょっと葛根湯出しておくから」という感じで終わりました.会社の健康診断でも問題ないということを言われ,大丈夫なんだろうと思っていました.

ただ,そのまま半年間放置していたらだんだん首の腫れも大きくなっていき,秋口くらいになると週に2,3回体を壊すようになって.船酔いにプラスしてインフルエンザにかかっているような,そんな中で出勤している感じでした.それで「明日病院行こう」と思っていたら,次の日の体調はとてもクリアで全然大丈夫だったりするんですよ.「あれ,昨日のやつなんやったっけ?」という感じでした.ただそんな繰り返しが1,2週間続き「これはやばいな」と思って,もう一度病院に行ったんです.するとリンパ腫じゃないかということで,大学病院を紹介してもらいました.

– そこで精査をして,“胎児性がん”ということを診断されたのですか.

はい.大学病院の血液内科で生検をしてもらい,“胎児性がん”かもしれないと言われたんです.その時,先生が「この“がん”はすごく珍しい.この大学病院でも1年に1回あるかないかです.もしここで治療するのであれば,私たちは精一杯診ます.けれども専門の病院もあります.どうしますか?」ということを聞いてくれたんですね.それで「やっぱり専門で診てもらえる病院の方がいいな」ということで,国立がん研究センター中央病院を紹介してもらえることになりました.AYA世代では珍しい“がん”がかなりある中で,無理に自分のところで診るのではなく専門の病院につなげてくれたのはすごくありがたかったなと思います.

– 最初に診断を伝えられた時,どのように感じましたか.

自分事と思えなかった,というのが正直なところです.「頭が真っ白になった」という言葉をよく聞きますが,実際は「この人なんか言ってはるわ」くらいの感じで.

患者さんの中で結構あるあるなのが,“希少がん”などの珍しい病気は診断がつかない期間が長くて,そのことにガクッときているんですね.その状態からようやく病名がつくと,「そうだったんだ」という納得感が強い場合が多いんですよ.それで僕も,もちろん頭が真っ白には一部なったかもしれないけど,同時に「これは“がん”なんだ」ということがわかった,そんな瞬間でしたね.

そして国立がん研究センターでは,「あなたのがんは“全身がん”です」と言われたんです.“全身がん”って何?と思って聞くと,「首と胸とお腹のリンパ節に転移していて,原発不明です」と言われて.その時はさすがに“死ぬな…”と思い,先生に「僕はどれくらい生きられるんですか」と聞いたところ,「5年生存率は五分五分です」ということを言ってくださったんです.僕は「これだけ転移していて五分五分やったら,何とかなるかもしれへんな」と思って,抗がん剤の治療をスタートしました.

– 治療中はどのように過ごされたのか,何か印象に残っていることはありましたか.

まず,抗がん剤が効くかどうかというのは不安でしたね.やっぱりそれが効いてくれるかどうかで僕の予後がだいぶ変わってくるので,すごく祈るような気持ちでいたというのは正直なところです.

印象的なエピソードとしては,ある時,看護師さんが手紙を書いてきてくれたんですね.そこには「胎児性がんとは…」という説明が書かれていて.僕がわからないところを色々調べてくれたんだろうなと思った時に,(“多数いる患者の中の一人”ではなく)“一対一”で関わってくれてるんだなぁと感じてすごく嬉しかったです.ここでがんばって治療していこう,ということを決意させてくれたのは看護師さんでした.

それと,僕はすべての相談ごとを主治医だけじゃなく,研修医の先生にもしていました.看護師さん同様,研修医の先生達もすごく診てくれていたから僕は治療をがんばれたなと思いますね.僕にとっての“先生”は,主治医と研修医の先生の両方だったなと思っています.

– 逆に,入院生活を振り返って「もっとこうしてくれたらよかったのに」ということはありましたか?

たとえば小児病棟にはプレイルームがあったりだとか,小児の人達が集まれたり交流できる場所ってあるじゃないですか.AYA世代になるとそこからは卒業してしまっているので,小児のように集まれる場がなかったんですよね.でも病棟を歩いていると,色々な若い人たちとすれ違ったりすることは結構あって.当時は孤独感であったり,周りはどうしているのかということにすごく敏感だったので,そういう人たちが集まれる場を提供して欲しかったなというのはありました.この辺りはAYA世代のサポートができていない部分で,課題だと思っています.

– 抗がん剤治療を始められたあと,手術も複数回されたと伺いました.治療は無事に進んでいったのでしょうか.

抗がん剤治療を約3ヶ月間行い,その1ヶ月後に1回目の手術(頸部と胸部),さらにその1ヶ月後に2回目の手術(腹部)を行いました.

まず1回目の手術後,突然息ができなくなるというハプニングがありました.そこで死を覚悟した際に,「親孝行ができなかった」,「恩返しができなかった」,そして「自分のやりたいことができなかった」という三つのことについて心残りが生まれたんです.

その後,処置をしてもらって再び息ができるようになった時に,僕は一つ目の「親孝行」に関してはとにかく生きることを,二つ目の「恩返し」に関しては社会に復帰することを,そして三つ目の「自分のやりたいこと」に関しては,自分と同じように苦しんでいる患者さん達に“治療をがんばっていこう”というメッセージを届けることをそれぞれしようと思いました.そして,三つ目のやりたいことに関してはブログという手段があるんじゃないかと思い,そこからブログでの発信を始めました.

また,2回目の手術の後には射精障害という障害を患ってしまいました.気がついて病院に電話をかけてみると,先生からは「ちょっと様子をみようか」と言われて.それから自分でもインターネットで検索したのですが,当時は後腹膜リンパ節の郭清をして射精障害になったという情報がまったくなかったんです.それで「うわー,どうしよう」となった時に,初めてお先真っ暗になったんですね.

今までは「治療法はある」ということで来たけれど,今回はそれもないということで,僕はがん宣告よりもショックだったんです.それまでは恋愛して結婚して子どもを授かる,というのが普通だと思っていたけれども,そうじゃないんだと.男性としてのアイデンティティがなくなるというか,生きている価値あるんだっけ?とすごくショックでした.

– この件については別のインタビューで,最終的に“同様の経験をされた方のご家族とブログ経由でつながることができた”と話されていましたね.

そうです.その時,“がん”について「センシティブなことに関する情報が少ない」ということ,そして「センシティブなことについても,ちゃんと聞けば患者さんは答えてくれるんだな」ということがわかりました.このような経験を踏まえながら,「どうすれば情報ってよく伝わっていくのかな」ということを考えていた時,ニコ生(※“ニコニコ生放送”の略)の動画配信に参加する機会を頂いたんです.

ブログは一方的に情報を発信する形式ですが,ニコ生では流れてきたコメントについてその場で話したりといった“双方向感”がすごくあって.そこで,この「双方向でコミュニケーションをとりながら情報を伝える」ということが僕のやりたかったことなのかもしれない,と思ったんですね.そこからすぐに“がんノート”の構想を始めました.ニコ生に出たのが2014年の春先だったのですが,夏頃には“がんノート”の配信を開始していたと思います.

– ご自身も“がん”の経過観察を続けられていた中で,動画配信との出会いから“がんノート”は生まれたんですね.現在に至るまで精力的な活動を続けられている岸田さんが大切にしている考え方などありましたら,教えてもらえませんか.

闘病中にお見舞いノートのようなものをつくって友達にメッセージを書いてもらっていたんですが,その中のひとつに“Think Big”という言葉がありました.「大きく考えろ.人生で起こるすべての出来事には意味があるから.徹の10年後はメッセージで溢れているから頑張れ」ということが書いてあったんです.

当時25歳だった中でとても苦しいと思っていたけれども,人生100年と考えた時にまだ4分の1しか来てなくて,その中の今の一点が苦しいだけなんだと.未来を考えたら,もう少し開けているのかもしれない.そう思った時に,肉体的なつらさは変わらなくても心のつらさはちょっとだけ和らいだんですよね.それで“つらい時こそ,大きく考えて先を見据えて頑張る”というのは,自分の中で大きな言葉の一つになりました.

もうひとつは,“がんノート”のコンセプトとして「暗くなりすぎず,笑って伝えたい」ということがすごくあるのですが,以前“がんノート”に出てくれた女の子の言葉を今も大切にしています.余命半年といわれている中でもめちゃくちゃ笑ってくれていた彼女に「なぜそんなに笑えるの?」と聞いた時,「幸せだから笑うのではなく,笑うから幸せ」と話してくれました.僕はもともと笑いを大事にしてきたのですが,その言葉を聞いて「まさにそうだな」と.あらためて“笑うことの大切さ”を認識させられました.

2.“AYA week 2021”について

- 3月に開催される“AYA week 2021”は,全国の関連団体が“AYAがん”についての発信を一斉に行う初めての試みですね.本イベントについて,医学生に向けたメッセージはありますか?

今回のイベントは,全国の患者さんや病院といった団体がどのような活動をしているのかを“見える化”できる,いい機会だと捉えています.医学生の皆さんもそうだと思いますし,病院内で働いている人も,「うちの病院はこんなことをやっていたんだ」ということは往々にしてあると思うんですね.それが今回,“AYA”というテーマを掲げて集まって,こういうことをやっているんだということをまず皆さんに見てもらうことが大切で.ぜひ,興味を持ってくれた企画に気軽に参加してほしいなと思います.

(大学卒業後に)病院で働くようになると患者さんのお話を聞くことは多いと思うんですが,じゃあその患者さんの背景を知っているかといわれるとそうじゃないと思うんです.なので患者さんたちがどのような生活や活動をしているのかなど,あらためて知ることができるというのはすごくいい機会なんじゃないかなと思います.

これは僕の個人的な意見ですが,日本では海外と比べても医療者と患者が線引きされていて,そのボーダーをなかなか超えられないようになっていると思うんです.学会を例に挙げてみても,“ここから患者さんは入れません”,“このセッションは聞けません”ということが非常にたくさんあるんですね.また,医療者は患者さんの活動についてあまり知らないという現実もあると思っていて,だからそのボーダーをなくしていきたい,よりオープンにしていけたらと考えています.

これらのボーダーがなくなっていくと,医療者と患者さんの間でも「この事で困ったらあの人に聞けばいいよね」「XX大学のXXへ行けばいいよね」というネットワークがいっぱい構築できていくと思うんですよね.そうすれば現在のどこか閉鎖的な雰囲気も変わっていくと思うし,患者さんとしてもより自分のことを医療者に話しやすい世の中になっていくんじゃないかなと思っています.

この点について,もし今回の“AYA WEEK 2021”に医学生の皆さんが患者さんと同じ立場で参加してもらって,「患者さんと一緒に活動するってこういうことなんだ」ということを医療者になる前の段階で経験してもらえたら,それは将来的にボーダーが少しずつなくなることにもつながっていくんじゃないかと思いますね.

– 今回の“AYA week 2021”では,私達のように企画側にも学生が多く関わっていると思います.そのような学生による発信に期待するものはありますか?

僕は患者さんやご家族はもちろんのこと,医療従事者との関わりも大事だと思っていますが,皆さんのような学生に関わってもらうということをやっていきたいために“AYA week 2021”をやっているようなものなんですよ.AYA世代に啓発をしていくためには,その世代の人たちの力というのは絶対に必要だと思っているんです.学生の皆さんの力を借りたいし,一緒にやりたいと.だから皆さんの力にはすごく期待しているし,一緒に盛り上げてほしいという思いは強いですね.今後に向けて,どうやったら一緒に盛り上げられるか?ということは今もずっと考えていることで,このことについても是非一緒に考えて欲しいなと思っています.

– 本日は,ありがとうございました.

(インタビュアー:大山一慶,今岡陽一朗)

企画共催:

聖マリアンナ医科大学第5学年有志・教学部教育課

厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)がん・生殖医療連携ネットワークの全国展開と小児・AYA世代がん患者に対する妊孕性温存の診療体制の均てん化にむけた臨床研究―がん医療の充実を志向して:研究代表者 鈴木直

************

◆ “AYAがん”特別講義のご案内

今回インタビューに応じてくださった岸田さんをはじめ,3名のAYAがん経験者の方によるオンライン特別講義を全国の医療系学生向けに開催致します.

枠が埋まり次第締め切りとなりますので,ご興味のある方は是非以下よりお申し込み下さい.どうぞよろしくお願いします!

全国医療系学生向け オンライン特別講義 参加申し込みフォーム

 *************

■筆者プロフィール

大山一慶:関東にある大学の医学部5年生.慶應義塾大学法学部卒業.株式会社リクルートへ入社後,脱サラしバンドマンに.その後いくつかのキャリアを経て,現在の大学へ入学.第252回日本循環器学会関東甲信越支部Student Award最優秀賞.心電図検定3級.ディープラーニングG検定2020#1.ご連絡はmailもしくはtwitterまでどうぞ.

 

–いいんちょーの僕です。目次–

第15回 「きく」ということについて

第14回 “AYAがん”を経験するということ vol.3

第13回 “AYAがん”を経験するということ vol.2

第12回 “AYAがん”を経験するということ vol.1

第11回 “Post-CC OSCE”という,事件.[後編]

第10回 “Post-CC OSCE”という,事件.[前編]

第9回 あったらいいな!QBオンラインの新機能♪

第8回 “他人(ひと)の不幸でメシを食う”

第7回 病院見学の帰路にて

第6回 朱に交わらず,いられるか?

第5回 実習再開のいま,大切にしたいこと

第4回 すぐに役立つQB実践術!

第3回 過去問を制する者は,国試を制す.

第2回 国試の準備,どうやって進める?

第1回 国試の準備,いつから始める?

新着記事カテゴリー


 すべて

 国試

 CBT・OSCE

 動画・アプリ

 マッチング

 実習

 コラム

 その他