イヤーノート2025 内科・外科編
【いいんちょーの僕です。】第12回 “AYAがん”を経験するということ vol.1
あけましておめでとうございます.医学部5年生のI.O.です.
今月より新たに臨床実習が始まり,徐々に身体が慣れてきました.
新型コロナウイルスの情勢は依然として先行き不透明ですね….6年生の方は国試に向け,最後の追い込みをかけられていることと思います.そして私も国試まであと1年ということで,やれることをコツコツと進められたらと思います!
“AYA世代”とは?
突然ですが,皆さんは“AYA(アヤ)世代”という言葉を知っていますか?
AYAとは“Adolescent and Young Adult (= 思春期と若年成人)”の頭文字をとったもので,日本では15歳~39歳程度の人たちを指すとされています.おそらくこれを読んでいる皆さんの大半が,“AYA世代”に該当するのではないでしょうか.
このAYA世代に“がん”と診断される人が,年間約2万人います.この数はがん罹患者の全体から見ると小さな割合ですが,それゆえに社会からの認知や支援体制が十分ではありません.
…そこで.
(“AYA WEEK 2021” ホームページより)
AYA世代のがんのことを,“知ろう,一緒に.”というメッセージを掲げ,今年3月に “AYA WEEK 2021”(外部リンクへ)という初めての試みが開催される事になりました.
(“AYA WEEK 2021” ホームページより)
そして今回,“AYA WEEK 2021”内の企画団体の一員として,私は“AYAがん”経験者の3名の方にインタビューをする機会を頂くことができました.これから全三回にわたって,本コラムに1名ずつのインタビューを掲載していく予定です.
“AYA世代”の当事者であり,卒後は“AYAがん”の患者さんにも関わることがきっとあるだろう全国の医学生の皆さんに,本記事が「AYAのことを知るきっかけ」となれば嬉しいです.
23歳で子宮頸がんを宣告された,阿南里恵さん
今回インタビューをさせて頂いたのは,ご自身が23歳の時に子宮頸がんを宣告された阿南里恵さんです.治療後に5年間の経過観察を経て,厚生労働省「がん対策推進協議会」委員として活動され,現在は特定非営利活動法人「日本がん・生殖医療研究会」における患者ネットワーク御担当としてご活躍されています.
“AYA世代のがん”ならではの様々な課題に直面されたご経験を,私たち医学生へのメッセージとともに語って頂きました.
1. 阿南里恵さんの“AYAがん”体験
– 本日はどうぞよろしくお願い致します.私の周りにはちょうど23歳前後の医学生が多いのですが,阿南さんは23歳で“がん”を宣告された当時,どのような生活をされていたのでしょうか.
21歳の時に就職をして,大阪から上京して一人暮らしを始めました.就職したのは大手自動車メーカーだったのですが,全然肌に合わなくて.それで不動産のベンチャー企業に転職したのですが,本当に思い描いていた場所がそこにあったというか,ものすごく楽しかったんです.それに20代前半というとおしゃれにもすごく興味がある時期で,お金があれば服やバッグを買うような,そんな生活をしていました.
それがある時突然,出血が始まったんです.ベンチャーで働き始めて,たった1ヶ月後のことでした.最初は「忙しいから生理が長引いてるんだろう」と思って,すぐに病院に行こうという感じではなかったんです.ただ1ヵ月ぐらい過ぎても出血がどんどん増えてくるし,「いい加減に病院へ行かないと」と思っていた時,当時のお客さんだった女医の方に婦人科の病院を紹介してもらいました.そこで「大きな病院へ行きなさい」と先生に言われて,大阪から来た両親と国立の病院へ行き,“がん”の宣告を受けたんです.
– 医師に“がん”であると言われた時,阿南さんはどのような心境だったか覚えていらっしゃいますか.
宣告を受けた時,母親は診察室で泣き崩れていました.そんな母親を見た父親は,どういう治療をするのかということを先生に淡々と聞いていた.…そして私はというと,まるで他人事のようにボーッとしていたんです.悲しみや驚きが湧いてくるのは大分あとのことで,その時は「えっ,そんなに大変なことなんだ」って.それまで,薬をもらったら治るような病気しか経験したことがないので,治るかわからない病気が世の中にあるということを体感したことがなかったんですね.
その後は大阪に戻り,治療が進んで行くにつれてだんだん自分事になっていきましたが,宣告された当時は突然病気だと言われても“病人”になれなかったんですよ.医療者にもどう接したらいいのかがわからなくて,それが苦しかった.「私は普通の人ですけど」と言いたいというか,病人じゃないという感覚だったので,その折り合いをつけていくことにすごく時間がかかりましたね.
– その後の抗がん剤治療や手術といった経験の中で,少しずつ「自分は“がん”なんだ」ということを感じていったのですか.
そうです.ご高齢の方の介護について,“尊厳”という話が出てくる思うのですが,それとすごく似た状況だと思います.普通に生活をしていた自分が抗がん剤治療を受けてご飯を食べられなくなったり,手術後はカテーテルで排尿するのを看護師さんに手伝ってもらわないといけないという,これらのショックやみじめさを一つ一つ受け入れていくことがものすごく大変でした.
– 治療中は,どのようなことが大変でしたか.
抗がん剤の治療をするにあたって,たとえば造影剤の検査だけでも承諾書を書く必要があったり,すべてが初めてのことでした.やはりそこですごく悩まされたのは,「そこまでして,治療を受ける必要があるんだろうか?」ということです.「どうしても助けてください」じゃなかったんですよね,あの時の感覚は.「本当に治療をする必要があるんだろうか?そんなに大変な思いをしてまで治療をして,子宮を失って,生きていく価値があるんだろうか?」というところにまず躓きましたね.
– 自分が病気であるということへの受け入れが始まる前の段階で,治療が始まったんですね.
そうです.抗がん剤と言われてもピンときませんでした.看護師さんは何度も「副作用で髪が抜けるかもしれません」と言っていたと思いますが,まったく記憶になかったんです.「そういう人がいるんだろうな」くらいに感じていました.
– 我が事ではなかった,ということですね.
はい.治療の一回目が終わった時,同じ部屋に中年の女性の方が入院してきました.抗がん剤治療を繰り返しているその方には髪がなかったのですが,挨拶をした時に「えー,あんた髪の毛あるねぇ!」とびっくりされたんです.そこで初めて,「私,髪の毛抜けるの?」となって.そこからは髪が抜けることが怖くて,先生の姿を見るたびに髪が抜けるかを聞きに行きました.そして結局脱毛が始まった時,もう自分の精神がもたないというか,「もう二度と笑えなくなるだろうな」と思いましたね.それまでは外に出かけるのに30分以上かけて髪の毛をセットしていましたから,髪が抜けるということはものすごく大きなことでした.
そして今度は手術だったんですが,手術の前日に家出をしたんです.これまで受け入れきれていなかったのが,手術が近づいてくると,「自分で決めないといけない,納得しないといけない」と急に思い始めて.その時に,「本当に手術を受ける必要があるんだろうか?」ということをものすごく考えました.
– 自分が病気であることを受け入れられない状況が,それまでずっと続いていたということですか.
それもあるし,あとはやっぱり妊孕性の問題です.それまでは「20代は仕事をして,30代は子育てをしたい」と漠然と思っていたので,それができなくなる,子どもを産めなくなるという事に対する納得をしたかったんです.当時は「子どもが産めなくなるとしたら,仕事だけで生きていかなきゃいけない」と思っていて,人の価値としてそこに納得ができませんでした.「定年になった時に,何が残るんだろう?」とか,そんな風に考えましたね.手術を受ける理由が見つからないとしたら,このまま子宮を残して死んでいくのも一つの選択肢なんじゃないかなとも,本当に思いました.
– 最終的に,手術には翌日行かれたんですよね.何がそうさせたのでしょうか.
母親からのメッセージです.「(家出をして)東京に来ちゃったので,明日までには帰るからとにかく一人にしてほしい」という簡単なメールを送って,母が2時間後に長いメールを返してくれたんです.そこには,「とにかく生きなさい」とありました.生きているだけで恵まれない子どものために何かしてあげることができるんじゃないか,子どもが産めなくても生きる道はあるんじゃないかというメッセージをもらって,私はこれを「子どもが産めなくなっても,生きていっていいんだよ」という風に受け取ったのだと思います.
自分が人間として価値がなくなるんじゃないかっていうことがすごく怖くて,それに対して「それでも生きていていいんだよ」と.子どもを産める産めないじゃなく,今このように思ってくれている人がいるんだから,自分は手術を受けないといけないんだとやっと思うことができました.
– 治療後のご経験についてお伺いしてもよろしいですか.
治療の後,私の居場所は仕事の仲間がいる東京だと思っていたので,やっぱりどうしても戻りたくて東京に戻りました.ただ,全部治療が終わってみたら,あまりに体力がなくなりすぎていたんですね.それで自信を失って,退職してしまったんです.
その後,体力を徐々に回復させてから再び東京の会社で働き始めました.ですがその後すぐに,後遺症のリンパ浮腫が表れたんです.突然,夜になると足がむくんで40℃近い高熱が出るようになり,そうなると2日間はフラフラで病院にも行けず,ただ寝ているしかないような状態が毎月起こるようになりました.
実は会社の採用試験の時,“がん”になったことや経過観察中であることを言っていませんでした.後遺症を何度か繰り返すうちに会社に迷惑をかけていると感じ,上司には「実はうそをついて入社しました」と伝え,事実を話しました.
そこから残業は無くなったのですが,社内のみんなは事情を知らないので,「なぜ阿南さんだけ帰るんですか」となってしまって.その責任を感じて,社員全員にメールで詳細な事情を説明しました.するとほとんどの人は励ましのメールを返してくれたのですが, ある先輩が「阿南さんって,本当にそういう病気なんですか」と言っていると,他の人が教えてくれて.それで心が折れてしまって,私の居場所はここにはないと思い,結局退職をしました.
– 全員に事実を伝えるという対応までしても,なお理解は得られなかったということですか.
そうですね.それから何度も繰り返しそういう状況になって,「もうみんなと同じ様に働けないのであれば自分でやるしかないな」と思い,自分で会社を立ち上げたり…という流れになっていきました.
– このような状況が,まさにAYA世代の“がん”の課題なのかなと感じます.阿南さんのような方に理解のある社会であれば,当時の阿南さんは職場に居続けることができたかもしれないと思いました.
「病気だからこういう仕事に就いたほうがいい」などのように,一般的に生きやすい道というのはあるのかもしれません.だけど,たとえば私のように“がん”になってもベンチャーで働いて出世したい人だっているし,バリバリ挑戦したいことがある人もいる.そういう人たちが,夢をあきらめなくていい社会になって欲しいなと思います.
病人だとか,障害者だとか,そんな風に思わないで欲しいというか,ひとりの人として本当にみんなと同じようにやりたい事があるし,興味のあることがあるし,夢がある.それが普通だと思うんです.
2. 医療者・医学生に向けたメッセージ
– “がん”の治療を受ける中で,医療従事者とのやりとりで印象的だったことはありますか.
放射線の治療ですごく嬉しかったことがあります.この治療は放射線の位置がぴったりと合わないといけないので,技師さんが患者の身体を動かすんですね.一回目の治療が終わった直後,女性の先生に呼ばれたので行ってみると,「今日のように放射線治療はかなり身体を触られます.ただ,今後の治療で毎回女性の技師が担当することはできません.それでも受け入れてくれますか?」ということを確認してくださったんです.そう思ってくれたことが,もう嬉しくて.「先生,全然気にしないでください」と,すごく気持ちよく放射線治療を受けることができました.
医療者の中には,治療で身体を触られることは当たり前だと思う人もいると思います.でもそれは普通の人からしたらあまり気持ちいいことではない,という視点をこの先生が持っていたということが,今考えてもすごいと思います.
あと,自分の記憶の中で「救われたな」と思ったのは,自分自身がまだ“がん患者”になりきれていなかったとき.入院中の夜に眠れなくなって,部屋を抜け出してベンチに一人で座っていたんです.すると看護師さんが気づいて隣に座ってくれたのですが,何も言わずにずっとそこにいてくれたんですね.それがすごくその人の気持ちを感じたというか,何かしてあげたいと思ってくれているんだろうなって.無言の時間が今でも印象に残っているくらい,本当にありがたかったです.
– 逆に,こういうことは残念だったなといったことはありましたか.
先ほどとは逆に,医療者が患者さんを見ているとき,「その人が女性である」といった観点がもしかしたら足りない場面はあったかもしれないですね.
何かの検査の時に,立ったまま尿を出さないといけないような場面があって.その時ガラス越しに2,3人の男性医師がいて,結局できなかったんです.もしかすると,医療者からすれば必要な検査だからということかもしれないのですが,こちらからしたら若い女性というアイデンティティーがあるので,すごく傷ついたりすることもありました.
そしてそれは若い女性だけでなく,高齢の女性でも同じです.「高齢の女性だからいいだろう」と思うのはすごくかわいそうで,髪の毛が抜けるのも,どれだけ高齢であっても嫌なものは嫌だということは,自分が病人になってすごく感じたところです.
– AYA世代の“がん”について,医学生に知っておいてほしいことはありますか.
皆さんには,ぜひ“AYAがん”の治療に携わってほしい.そう思う理由としては,やっぱり同世代だからこそわかることがあるからです.社会が新しい時代に入って来ているので,どれだけベテランのお医者さんであっても今の20代や30代がどういった価値観・人生観で生きているかというところまでは,やっぱり理解できないと思います.だからその世代の患者さんのことが本当にわかるのは,皆さんの世代の医療者だと思うんです.「自分と同じ日常を過ごしていた人が,突然病気になるとはどういうことか?」について想像できるのは同世代の人だと思うので,そういう人達にAYA世代の治療に携わってほしいとすごく思います.
あと知っておいてもらいたいのは,日本では“セクシャリティ”というテーマに関してすごく遅れているということです.性行為や性生活について,日本では特にタブーとなっています.これはものすごく大きくて,妊孕性というとやはり子どもを産めるか産めないかという点ばかりが注目されるんですが,でもたとえば若い夫婦だけでなく,結婚するに至るまでもその人が性行為をできるかどうかで将来結婚できるかも変わってきますし,ある時は離婚の原因にもなるかもしれません.
以前,身体の成長にあわせて性器が成長しない病気があることを勉強しました.その方たちは,大人になっても性行為ができません.この場合,どれだけその方の精子を保存したとしても,依然としてその方の性の問題は解決されていないことになります.この部分について研究を進めていかないと,妊孕性を保つことが出来たとしても十分ではないと思います.今,若い世代で“がん”になった人は結婚が難しいとされています.結婚が難しい理由について,妊孕性だけじゃない,子どもが産めるかどうかだけではないということは知っておいてほしいと思います.
– 最後に,私たちのような“がん”を経験していないAYA世代が“AYA WEEK 2021”に関心を持ち,参加することの意味について教えて頂けますでしょうか.
同じ目線で,普通のおなじ同世代の人として患者さんを見てくれる人たちが一人でも増えることで,やはり社会が変わっていくと思うんですね.そこが一番,やっぱり理解してもらいたい点です.“がん患者”であっても,“がん”を体験したサバイバーであっても,みんなと同じようにおしゃれが好きだし,仕事が好きだし,夢があるし,ということを普通に受け入れてほしい.
そのためにも,特に同世代の方々,AYA世代の方々に一人でも多く参加してもらって,“支援”などではなく,「ひとつの特徴を持ったおなじ同世代の人だ」ということを知る機会にしてほしいと思います.
– 本日は,ありがとうございました.
企画共催:
聖マリアンナ医科大学第5学年有志・教学部教育課
厚生労働科学研究費補助金(がん対策推進総合研究事業)がん・生
鈴木直
************
◆アンケート回答のお願い
現在、全国の医療系学生の方向けに“AYAがん”に関する意識調査のアンケートを実施しています。所要時間は3分程度ですので、下記URLより回答のご協力をお願いいたします。
またアンケートの最後には、今回インタビューに応じてくださった阿南さんをはじめ、3名のAYAがん経験者の方による特別講義(オンライン)のご案内があります。枠が埋まり次第締め切らせて頂きますので、どうぞお早めにご確認ください。よろしくお願いいたします。
*************
―
■筆者プロフィール
I.O.:関東の医学生.1回目の大学で法学部を卒業後、会社員や音楽活動などを経て医学部へ入学.日本循環器学会関東甲信越支部Student Award最優秀賞.心電図検定3級.ディープラーニングG検定2020#1.
―
–いいんちょーの僕です。目次–
第17回 国試の結果とご挨拶 (付録:Post-CC OSCE対策のコツ)
第11回 “Post-CC OSCE”という,事件.[後編]